34週の壁

妊娠を継続するにはいくつもの壁がある。胎嚢確認、心拍確認、9週、12週、16週、22週、24週、28週、30週、34週、37週… 懸念される危機の確率が下がったりする、胎児の成長のひとつの節目になる週数を、壁と表現している。

知っていましたか!?こんなに細かに、2週とか4週ごとに、クリアできなきゃ死ぬかも、障害が残るかも、息できないかも、なんて妊婦が言われていることを!私は自分が当事者になるまで全然まったく知らなかったし、興味もなかった。妊婦なんて勝手にお腹大きくなって頭お花畑で自分とお腹の子のことばかり考えながらまったり赤ちゃんの靴下とか編んで過ごしてると思ってた。人によるんだろうけど、全然違ってた。

7月に入りコロナ罹患、なんとか治まったと思った矢先、31週から切迫早産で、かれこれひと月近く入院している。このまま生産期まで入院になるらしい。旅行はおろかお出かけも、出産準備の楽しみも諦めて、実家の母に産着を選んでもらった。病室の硬いベッドでスマホを眺めるだけの日々。妊娠してからここまでの9ヶ月、諦めたことばかり心配ばかりで、ちっとも楽しくなかった。

それでもこの子が育ってくれている…というよろこび、それも自然にわいてくると思うじゃん?そうじゃないんだよ…。私本当に全然子供ほしくなかったし、今もほしいわけじゃなくて、責任感と圧倒的な命の重さだけで、ひとりで毎回壁をなんとか登ってる感じなんだよ。そりゃ苦しいよこんなの。不安に決まってんじゃん。

それなのに苦しいなと漏らせば、自分が選んだ事、命を軽視してる、そんなこと言うもんじゃないとすぐ言われ、でもさ、仕事の愚痴くらいみんな言うでしょ。疲れた、もう嫌だ、休みたい、やってらんない、そう言うでしょ。自分で選んですすんで働いてるのに。それがひとたび妊娠となると、苦しいの一言も口にできない。辞めますもできないのに。そんなことそれこそ許されないのに。だから頑張ってるのに。

なんかもう…すごいよ妊娠出産。今はもう、早く別々の人間として生きていきたい!!が、もう4週間我慢しようね、安心できるようになってから出ておいでね、と思うけど、命をかけて生命体をお腹の中からひり出して、死にかけのその瞬間から間髪入れずまた生命維持のためのミッションスタート、そんなコンディションで、はたしてかわいいと思えるのか!?っていう…。経験してもわからない妊娠、出産、わからないまま始まる育児、どうですか…。

でも、仕方ないからね。私も君もお互いを選べなかったし、私は決していい母体と言えない体だったけど、10ヶ月も私のお腹に巣食い命を共にして、私と君の他に誰もできない体験をして出てくるからには、絶対愛してあげるから、できないなりに頑張るから、だからもうちょっとの間だけ、一緒の身体の不自由を耐えようね。出てきたらお互いに「オメーやばすぎまじありえん」て言ったらいい、もう少しだけ一緒にがんばろうね。の気持ちで、一日一日をやり過ごしている。暑すぎる夏を知らないまま季節が終わる。

ちゃま

おはよう。5月ももうすぐ終わるね。

少し前まで、体調が安定する代わりに眠くて眠くてどうしようもなく眠くて、寝てばかりいた。加えて、量を食べられないものの、つわりが終わって食べものがとにかく美味しく、このひと月で普通に太りすぎてしまった。今日は健診日だった。帰りにロイホでパフェを食べようと楽しみにしていたけど、怖気付いてそのまま帰ってきた。

性別が判明した。「お坊ちゃんのようですね」と先生。初期からずっとなんとなくそんな気がしていたけど、やっぱり男の子だった。私と夫の子なら男の子のほうが生きていきやすい気がするので、これでいいと思う(選べるものでもないけど)。名前を真剣に考え始めるぞ。

先日いっちょ胎教でも始めてみるかと思って、絵本を数冊買ってみた。

『らっこちゃん ぷかぷか』『らっこちゃん くるくる』と、気ままに浮かび、遊び、貝を食べるらっこちゃんの簡単な絵本。立ち読みして、最後のページの『らっこちゃん なんにもきにしてない』というオチと笑顔のらっこちゃんの絵に衝撃を受けて、これに決めた。気にしないって大事なことだと思っている。夫もまさにそんなタイプで、気にするべきこともなんにも気にしてなくて、そこがダメだし、そこがいい。めちゃくちゃ意外だが音読はうまかった夫にまかせて、私はおなかをそっとたたいたり撫でたり盛り上げ役をやっている。

おはよう。

先日退院から一週間後の診察&助産師検診だったのだが、3時間待った挙げ句先生が帝王切開の手術に入ってしまい診察がなかった。自宅安静を解除していいかわからず、でもまあその後出血や激しい張りもなく落ち着いたので、ぼちぼち日常生活に復帰していくことにした。連休中に地元の新居の片付けに行きたかったが、長距離移動と力仕事は今はできないと判断し、行かないことにした。6月に出産予定の友人に産前会える最後のチャンスだったのでとても残念だが…。

入院から自宅安静の2週間、夫にとても心配をかけたし、忙しい中できるだけのことをしてくれて感謝している。料理も掃除もできないけど、それでもなんとか頑張ってくれた。これから生まれるまでの間にもっとできることを増やしていけるように教えておかないと、とは思ったが…。それでも、退院した日帰ってきて私の顔を見るなり、私が欲しがっていた衣類スチーマーを買ったと、興奮を抑えられない様子で継ぎ早に話す彼を見たら、泣けてきてしまった。妊娠初期、体の変化に気持ちが全くついていかず毎日不安で、「気軽に相談できる相手も知り合いも家族も友達も誰もいないこの街で、あなたがわかってくれなきゃ私は一人ぼっちだよ、わかろうとしてよ、私を一人にしないでよ」と大泣きしたことを思い出す。何から話せばいいかわからず眼の前であたふたと喋り続ける夫を見て、この人がどんな気持ちでいたか全部わかった気がした。私はもうこの人と離れて生きていけないなと思った。

今日は、2週間ぶりに料理をする。(できるかな?)

しらない天井

今日で16週5日。一昨日の夜から出血があり、今朝も続いたので心配になって受診したら、切迫流産でそのまま入院になってしまった。最低でも一週間、シャワーも2日に1回で寝たきりの日々になるそう。夫とは朝別れたまま顔を見ることもなくそのまま入院。感染症予防で入院中は面会もできず。さみしい。今朝見送る前にハグしておけばよかった。家で一人、大丈夫かな?どうしたらいいのかな?と不安に思いながら家事をしなければならないより、入院でしっかり安静にできたほうが安心だと、ベッドに着いたときには思ったけれど、落ち着いたらどんどん怖くなってきた。寝転んでイヤホンでスピッツを聴いたら泣けてきてしまった。長引かないといいな。早く帰りたいな。

 

4月3日には出生前診断の結果を聞きに行ってきた。すべて陰性だった。もし陽性だったら…とずっと考え続けていたので、本当に安心して、説明を聞きながら泣いてしまった。これでやっと、目の前が開けていくような、私も覚悟を決めて、母になるぞ!と踏み出せるような、そんな気持ちになれた。

 

4月4日、私が愛してやまないゲーム「アイドルマスターSideM GROWING STARS(通称サイスタ)」のサービス終了が発表。死!!! アイドルマスターシリーズはゲームから派生して様々な展開を見せており、SideMは8年続いたモバゲー版が数ヶ月前にサ終、これからは音ゲーのサイスタ一本に集束してがんばっていくんやな、という感じだったのに、約一年半前のリリース以来大きなアプデもテコ入れもなく、突然の死……。新たな展開などのお知らせは特になし。これまでのアイマスはあくまでゲームが主軸なので、それが絶たれ今後の展開も見えないとなれば、ジャンルは衰退、おそらくこれは…緩やかなIPの 死……?ということで、、私がSideMにハマったのは4年ほど前。それから辛いときもさみしいときもずっと、SideMは私の側にいてくれた。どんなときも、さあ行こう!と私を奮い立たせてくれた。あの眩しさの中に私もいたいと思わせてくれる、希望の光だった。このかなしい知らせのあと本当に気落ちしてしまって、まだサイスタも開けないし大好きな曲も聞けないでいるんだけど、でもね、バンダイナムコは憎くても、アイドルたちのことは大好きで、希望の光なのは過去形じゃなく、今この瞬間だってそうだから、、私はSideMを信じているよ。信じさせてほしい、バンダイナムコ……。

 

このサイスタの死があって、なんというか、生み出すものの責任として、もうああだこうだ言ってる場合じゃない、私はなんとしても、子を愛すぞ!!!と鮮烈に思ったばかりだったので、切迫流産なんてショックで…出生前診断の結果も大丈夫だったし、つわりもやっと落ち着いてきたのに…!と悲観してしまって。赤ちゃんと夫のために、しっかり安静にして、元気に退院するぞ!

まあそんな感じで、ゆらぎの激しい最近です。病院の食事バランスよくてたいへんおいしいです。つわりが治まっていて本当によかった。

ぷかぷか

おはよう。WBC決勝見てますか

 

11日 旦那の車の納車日で、地元に帰る。車酔いしやすい上につわりで、車はマニュアルの17年乗ってるボロボロのインプレッサ、絶対吐いちゃうなと思っていたけど、休憩しながら寝ながら行ったら意外と大丈夫だった。新車はWRX、結婚前から決めていた車種で、かっこよくて豪華な車だった。悩んで進言したカラーもよかった。だけど子どもができるとわかっていたらこんな贅沢絶対止めていた。

 

そのあと私はまる一週間実家に滞在して、役所の手続きを済ませ、そのほかは特に何もせず、犬を小脇に抱えて眠って、甘えて過ごした。会わない2ヶ月の間に犬は私のことをまあまあ忘れていて悲しかった。やっと仲良くなったから全然帰りたくなかったけど、19日に新潟市へ戻った。旦那はその間毎日昼と夜に電話をくれて、心配で寂しい一週間を過ごしたとのこと。

 

20日、大学病院で出生前診断のカウンセリングと、同意の上で検査を受けた。結果は4月3日に聞きに行く。夫婦共に高齢での初産なので、無事に生まれてくるか不安が大きい。そうでなくても私はさ〜〜、私っていうやつは、変わっていく身体や体調、未来のことが不安でたまらないんだよ。だけどいつまでもそう言っていられない。私の腹の中では私の意志と無関係に刻一刻と根を張り大きくなっていく別の命がある。覚悟を決めるために、安心の材料にするために、検査を受けることにした。受ける以上結果への答えを用意せねばならず、カウンセリングで「もしも異常が見つかった場合はどうするか、お二人で相談されましたか」と問われて、改めて震えてしまった。私は勝手に生まれてこようとする命を自分の都合で奪おうとしている。

検査当日、明け方に咳き込んだ拍子にえずいて吐いたとき、力んで何度かピンク色のおりものが出た。カウンセリングの先生に伝えたところ、あまり心配いらないと思うが…と言いながらエコーをしてくれた。前回の健診ではまだなかった羊水のなかで、ぷかぷか浮かぶ赤ちゃんがいた。よかった、と口から出た。お腹が出てきた気がする(元々出ているからよくわからないが…)と思っていたけど、気のせいじゃなかった。はじめてエコー画面を見た旦那は感動していた。

 

つわり全然よくならないんだが。思えば6週の頃が一番つらくて、本当に食べられない飲めないで寝たきりだった。それに比べればずいぶん良くなっているけど、今もふつうに嘔吐している。今日で13週4日。本当にあと3週くらいで終わるんだろうな!頼むよ………

ふぁんふぁんファーマシー

おはよう。明日で2月も終わりです。

ここ数ヶ月でいろんなことがありすぎて大忙し、現在もその渦中なんだけど、このあたりで少し振り返ってみようかなと思ったので、書きます。

 

昨年12月に結婚して、めちゃくちゃ順調に妊娠しました。今10週に入ったところ。

11月、両家顔合わせの食事会

12月、入籍

12月末、退職

1月中旬、新潟市へ引越し

2月中旬、妊娠発覚

結婚して引越し、荷物も片付いて、やっと落ち着いたかなというときで、これからささやかながら新婚旅行に行こうかと計画していた矢先の妊娠。1月末からずっと具合が悪くて臥せったりしてたんだけど、まさかできてたとはね…。私はいま37歳。旦那さんは45。私は元々子供が好きじゃなくて望んでいなかったし、将来的なことを考えても無理だと思っていて、子供を持たない人生をこれからやっていくんだと、思っていた。のに…。だから、本当に驚いてめちゃくちゃ動揺してしまって、とにかく不安で、今もどうしていいかわからないんだけど。だって無事産まれたとしても子供二十歳になるとき旦那65て…恐ろしすぎて目を背けたくなる。旅行や新しい街でしたかったこと、目先の楽しみも全部なくなって、それより私は、こんなんでちゃんと親になれるのかな!?もう身体の中には赤ちゃんがいて、私は母というわけだけど、本当に私が、子供を一切かわいがれない私が…今も動揺するばかりで喜べない私が…妊娠届出書のアンケートの「これから楽しみなことやしてみたいことはありますか?」の欄に、なにも書くことが思い浮かばなくてそれが辛いと思ってしまう、こんな私が…。

まあそんな感じで、つわりと感情に振り回されながらなんとかやっています。まだ妊娠初期、これから出生前診断も検討していて、どうなるかわからないところもあるんだけど。気が早い旦那が名前はどうするとか言い始めて、考えてみて初めて、情けないけど初めて、すこし前向きな気持ちになれた気がする。

 

ここへきて人生何があるのか全くわからんなと実感しています。私じゃないものに支配されてる、って思ったけど、なんでこんなに自分の歩いてきた道に納得できてないんだよ、本当に嫌になる🥲って感じで、なにかあるとすぐ泣いてま〜す!(※ホルモンバランスが崩れているので妊婦は基本的に情緒不安定)助けてくれ〜!

ためらうその気持ちもすべてこの手に渡して

北陸も梅雨入りしたね。途端にむしむししているように感じる。あじさいは、私の最も好きな花のひとつ。

前回春の訪れの日記を書いたけど、もう夏が訪れようとしていて、日々が過ぎるのが本当に飛ぶように早い。

がんばって3か月ラブに取り組んだ結果、会えないことで哲学の人の胸には銀河の大きさの穴があき、私は私で哲学の人がいないと誰もいないのと同じと感じるようになり、つまり月に1、2度会えるそのとき以外はないのと同じだったから、本当にあってないような春だった。銀河の果てからくる電話を毎日待っているだけの日々だった。

 

私の存在を彼がよろこんでいると、わたしがただそこにいることがうれしいのだと、疑いようがなく感じられる。横断歩道の向こうで鞄をかかえる姿をみつけたときの表情、佇まい、私の右手の親指の爪を何度も撫でる指、やわらかくなる電話の声、アクリル越しのほほえみ、すべてが私を好きだと言っているのがわかる。私はそういう些細なことにいちいち今までの人生の救いを感じていて… なんと言ったらいいのか、私がわたしでいることを赦されていると感じている。気持ちの大きさや確かにそこにある愛の存在を知るたびに、感動して、ときにじわりと、ときに大げさに泣き、彼をさらに困惑させたり、喜ばせたりする。彼は彼でそういう瞬間に、孤独な人生の救いを感じているだろう。 

離れたくない、ずっと一緒にいたいと言うから、そんなにそうならずっといっしょにいられる方法も世の中にはあるらしいよ、どうしたらいいとおもう?わかったらわたしに教えてね、と返して、私達は結婚することになった。

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↑梅雨明け前に書いていた日記。

先日指輪を決めてきて、いよいよ現実的にいろんなことが動き出した。といっても挨拶と顔合わせをするくらいで、式は挙げないし、あと一年半彼は単身赴任で、私の生活もこのままですぐには変わらない。

いいって言うのに婚約指輪もくれた。お店のお姉さんの説明を聞きながら込み上げてくるのを何度か堪えて、帰りのバスの中で感動が目からこぼれた。

愛されるのにも覚悟がいるんだって知らなかった。今までのわたしなら、永遠なんて誓えない、いつかわたしもあなたのことを裏切るかもしれないし、結婚て意味あるのかな…とか言って、でかい愛に向き合おうとしなかったと思う。本心からそう思っていたし。それをわたしも気が付かないうちにまったく変えてしまったのが、彼の根拠不明な愛で… やっぱり彼はすごいの。

言わせておいて、返事をする前に「私のこと嫌いになっても一緒にいてくれる?」と聞いたことを思い出す。彼はただひとこと「一緒にいるよ」と答えた。彼とこういう約束ができたことが、今はとてもうれしい。