むかしむかしのきょうのはなし

ふと日記を遡って2年分くらい読んだら、当時の私可哀想なくらい思いつめててかわいそうになっちゃった。あの思いつめっぷりからしたら、今はもう、かなりどうでもよくなっているなと感じる。係長のことも自分のことも、そういうヤツだからと受け入れられていて、そのうえで憎まず、バカなひと、しょうがないひと、と思える。もうすぐ笑いかけられそうなところまできている。菩薩かよ〜〜わたし。

ちょっと前に母が、私に持ってけと言われて、誰かのおみやげのどうでもいいようなクッキーを、係長からもらって持って帰ってきた。こどもみたいだよね。係長からだって言っときますねと言ったら、言ってねと言っていたと。こどもみたいなの。だからわたしもこどもみたいに おいしー!ありがとー!って言いたいんだ いつか。

 

中退してから去年とかおととしとかまでだから、まる10年ほど、春が来るのが嫌だった。春は変化の季節なので、他人の人生の転機に動揺したり、比べて自分を卑下したり、心に揺さぶりをかけられることが多いから。外が明るいだけで、自分が責められているような気がして、ここにいちゃいけないんじゃないか、こうしてちゃいけないんじゃないか、なんか存在してちゃいけないんじゃないかと思ったり、桜もきれいだけど、きれいすぎて憎さすら感じてた。冬は暗いことが許されるからいいの。雪の下に必死に諸々を隠して静かにしているのに、勝手に少しずつほころんで白けていく感じが、本当に嫌だった。でも今年の春は気分がいいんだ。あたたかくなることがうれしいし、桜も楽しみで、はやくどこかへ出掛けたい。フツーの春。あーわたしやっと落ち着いたんだな、めっちゃ時間かかったけど、ちゃんと時間経ったんだな、そんで今そんな悪くないやって思えてるんだな、よかった、うれしい。って思う。ようやくちょっと生きやすくなってきた感じがしてて、すごくいいことだと思う。

この寛容な気持ちはきっと明日から休みだから。最終日の夜には絶対に世界を呪ってる。だろうとかきっとじゃなくて絶対。